里山エッセイ
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遊山箱

手作りの遊山箱が並びました。両国通りの空き店を利用して。
遊山箱には「逝きし日の面影」(渡辺 京二)が彷彿としていますね。
家族のあり方、子どもの世界、晴れと卦のあったくらし、近所づきあい
料理の心、そして遊山箱を作った人たちの心にくいばかりの技・・・・。
コメント
私の遊山箱は赤で、3つの引き出しがついていました。
貧しいながらも大家族で暮らせた少女時代の幸せな日々。
年齢の違う10人余りの近所の子どもたちと野山を駆け巡った日々。
そして河原も土手も裏山も人工物がなく、時がゆったり流れていた。
そんな思い出が3つの引き出しにはいっぱい詰まっています。
あの遊山箱どうなったのだろう。
GOkoさんが3歳半のとき、お父さんの黒い三尺帯を広げて、その上に弟さんを置いて、よっこらしょとおんぶして隣の家に遊びにいったら、おばさんがびっくり仰天したという話、幸せな少女時代は、そうして始まったのですね。ご兄弟の多かったGokoさん、遊山箱はいくつもあったのですか?
遊山箱は、全国でも特に徳島が有名なのですね。知らなかった。昔から芸事に堪能なお国柄の反映なのでしょうか?
「四日(しが)の悪日(あくにち)」という言葉があるそうです。3月4日のことで、この日は仕事をしては悪い物忌み日として花見遊山をする。特に徳島の大滝山の遊山は著名、と広辞苑一日一語にありました。
遊山をして大人も子どもも楽しんだのですね。でも、遊山箱は子どもだけなのですか?
私の場合、近所の異年齢子どもたちが(年上の人は保護者のように年下の者のめんどうをみてくれた。)寄って、園瀬川の低かった土手下、河原、裏山、近所の豪邸(ごちそうを入れてくれるし、お雛様もりっぱなものだった。)にいった。
遊山箱が空になると、家に引き返し親にいれてもらう。
こういう事情のため、親は家にいて、子どもたちが群がって
遊山にいったものです。
昨日中学時代の同窓生6人が寄りました。
最後に両国通りの遊山箱展を見にいきました。
私と同じような遊山の経験をしているようでしたよ。
みんなの声が若やいでいました。
いつだったか、父が遊山箱を持って子供の頃、出かけたと
言っていました。その中には寒天?の様なデザートも入っていたと。
いつか、その遊山箱の思い出を再現させてあげたいなと
思っていましたが、すっかり忘れていたのです。
先日、徳島の花屋さんにネットで注文した際、注文確認の
メールに、遊山箱の話が書いてありました。
なんだか心温まるメールから、遊山箱について調べようとし、
ここのHPにたどりつきました。
父の父も母も既に他界しており、どうしても、昔懐かしい、
遊山箱を、私や、娘、父と一緒に持って、山を駆け巡れれば
いいのにな・・・と改めて思っています。
徳島には、すだちや、阿波踊りだけでなく、遊山箱という、
素敵なものも、あったのですね^^
昔ながらの風習、受け継いでゆきたいものです。