里山エッセイ
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“シンプル”という贈りもの


2年前に「ヴィレッジ」という映画が上映された。森の奥の小さな村で起こった事件を、ホラー仕立ての映像で描いた作品だ。
「シックス・センス」のナイト・シャラマンが監督なので、超自然現象がテーマのように思えるが、実はなかなか上質のラブストーリーである。
そのユートピアのような小さな村のモデルになったのが、アーミッシュである。彼らはヨーロッパを逃れてアメリカにたどり着いた、キリスト教の再洗礼派の人たちだ。
アーミッシュは、現代文明に背を向け、電気や車をつかわない生活をしている。移動は馬車でし、服装も白か青、黒の無地で、柄物は着ない。とてもシンプルで質素な生活だ。
彼らは、映画のように隠うつではなく、とても陽気だ。300年間、ずっとその素朴な生活スタイルを続けている人たちだ。
このアーミッシュの村に25年間通い、彼らの暮らしを撮り続けたビル・コールマンの写真集を見た。どのページを見ても、絵画のように美しいシーンばかりだ。特に冬の集落の写真は、400年前にブリューゲルが描いた風景画そのままだ。
便利で自由、そして豊かそうに見えるが、実は人と物をつかい捨てにする現代社会。それとは異なる可能性を彼らは生きているのではないだろうか。アーミッシュは、自分たちの生活をけっして不自由とも禁欲的とも感じていないように思う。
実は、彼ら程ではないが、私もテレビのない生活を18年間続けている。けっして不便とは思わない。むしろ快適なのだ。
ゆっくりと流れていく時間、夜の静ひつさ。雨や風の音、小鳥のさえずりや樹の葉のそよぐ音を聴きながらの生活は、とても魅力的だ。何物にも替えがたいのである。
質素ではあっても、家族や地域社会の絆を大切にし協力しあって生きるアーミッシュの人たち。なかでも子供たちの表情はとても明るい。そして、その村の風景はかぎりなく美しいのだ。
アーミッシュとの恋物語であると言うビル・コールマンの写真集は、次のように名づけられている。
THE GIFT TO BE SIMPLE(“シンプル”という贈りもの)

建築家 野口政司 徳島新聞夕刊1月15日付けより
コメント
1年前、眉山の遍路道に捨てられたゴミの山を撤去する作業に参加しました。ゴミをださずに生きてはいけないものなのかと溜め息がでました。
情報メディアを使った宣伝は、見ためのデザインで消費者を誘惑します。でも、本来デザインとは、「ある目的を達成するために計画を立て、そのための仕組みをつくるプロセス」が語源と聞いています。
私たちはもっと、物の価値を見る目や生活をデザインする力を養いたいと思います。本当に必要なものだけを身近に置き、使い、楽しむ。生活を語れる生活者になる。そういった生活の質を変えていくことで、消費社会からぬけだしたいと思います。
アーミッシュの人たちのことを読んで、ナウシカが住む風の谷の村人を思い出しました。シンプルな生活は、人のやさしさや自然の美しさを際立たせ、豊かな生き方に導いてくれるのではないでしょうか。
眉山の遍路道の大掃除は歴史に残る大掃除ではなかったかと思います。収集されたゴミの量は100トン。単位が間違っているのではと思いましたが・・・すべてをとりきれずに日がくれて、でも、ゴミで埋まっていた谷からゴミが消えて、土が現れて、なんだかすっきりした気持ちになった。
生活の質といえば、身の回りの品の美しさが語られないから、ゴミが増えるのではと思います。便利さや安さは語られるのに、あまり美しさが語られないように思います。美しさのあるものはゴミにならないのでは・・・世代を超えて受け継がれたり、人から人へと使い継がれる。身の回りの日用品に機能美だけでない、生活美が必要なのかもしれません。日本は今、生活の中の美しさが貧困なのでしょう。心の貧しさかもしれませんが、物の美しさは心の美しさも呼び起こすと思うので、できるだけ美しいものを身近に置きたいものです。
「生活の質」いい言葉ですね。