里山のエッセイ
きさらぎ
今日から如月。
生更ぎの意で、草木の更生することだと言う。
山が笑う季節にはまだまだ遠く、
身を切る冷たい風に霜柱が立ち、
山はうっすらと雪化粧。
それでも、かすかにむらさき色に煙りはじめた山々。
雑木の林に黄緑色の葉が浮かんで見えるのはアオモジ。
小さく淡い黄色の花が可憐だと友人が教えてくれた。
沈丁花がほころびはじめ、
匂いつばきは明日にも開き、
紅梅も深紅のつぼみを膨らませている。
蕗のとうも顔を出し、もうすぐ春が立つ。
春の先がけを思い浮かべていると、
言葉の連想からか「春と修羅」を思い出す。
心象風景をスケッチした宮沢賢治の詩集。
ぱらぱらとぺ-ジを繰ると、こんなフレ-ズがある。
すべてがわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの
すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから
森羅万象生きとし生けるものすべてに
心があるということなのか、
深く語る事はできないけれど、
詩集のどこを開いても
作者の思いが伝わって響いてくる。
そして、春と修羅とは、
今年という年の今の季節にふさわしい言葉だと思う。
小説「ポラ-ノの広場」にも、こんなことが書かれている。
賢治の心の中の理想郷イ-ハト-ヴの野原には、
みんなが祭りを楽しんだポラ-ノの広場があって、
オ-ケストラでもお酒でも何でもあって、
小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花に、
一つずつあかりが灯るのだった。
故郷にはいずこにも、
思い出深い数々のならわしや祭りがあり、
あかりの灯るイ-ハト-ブがあった。
けれど、今現実に立ち返れば、
銀河のかなたにともにわらい
はえある世界をともにつくらん、
と詠ったその地には、
こんこんと冷たい雪が降り積もる。
春の息吹を形づくる月、
今日から明日への息吹を整える月、
如月。
弥生3月11日のその日が来る。
誰の心にも、白いつめくさの灯が
ほのぼのほのぼのともるように、
如月に込めた先人の意に学びたい。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表
2012年2月1日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
初音
初音の笛の音が聞こえる。
あれは竹笛だった。
雪が深々と降る大晦日、
元日に日付が変わると初音売りが、
リヤカーを引いてやってきた。
はつねぇ はつねぇ・・・
新しい年の響きだった。
その声を聞くや、
家々から子どもたちが飛び出して
おめでとう、おめでとう。
「初音」と聞けば思い出す。
年賀状を書かなかった。
深い理由はなかったのかもしれないが、
旧年中にどうしても「おめでとう」と書けなかった。
寒中見舞いを出す事にして年が明けた。
元日の朝、日の出は拝めなかったが
東の空の燭光に希望を見た。
昼から晴れて新年を寿ぐように
暖かく初詣に出かけた。
例年初詣は地元の神社と決めている。
上八万町西地に勢山天王神社がある。
佐那河内の山々に向かって右手に小道を行くと、
こんもりと鎮守の森に囲まれてある。
辺り一体はのどかな田園地帯。
古めいた幟がはためいて、
昔から地元田中、西地、一ノ瀬の氏神だと言う。
こま犬や石灯篭に「文化」「弘化」の文字も見え、
神社を囲む大木も歴史の古さを語っている。
日露戦争直前に奉納された石の鳥居、
鳥居をくぐれば小暗い境内、
57段の石段を登る。
本堂には新しい注連縄が飾られ、
掃き清められた境内は静かである。
と、大木の木末(こずれ)に高く鳥の声、
初音だ。
道を左に手折ると、
園瀬川にかかる西地橋のたもとに、
馬頭観世音と記された碑がある。
道行く人と道行く馬の無事を祈った馬頭観音、
自然石の石碑を背に6体の小さな観音像。
賽銭が上げられ、しきびや花の切れる事がない。
橋の下を流れる園瀬川は、
きらきらと冬の空を映して光り、
川原に降り立つしらさぎの白さがまぶしい。
遠近に鳥の声、
ふつふつと水の子どもが沸き立つ
園瀬川の源流旭丸。
森から初音が聞こえてくる。
私たちが忘れかけている
大切な何かがあるのではないか。
「天地のしじまに初音 園瀬川」。
復興元年が始まる。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2012-徳島代表
2012年1月18日(水) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
時
飛行機雲が真っすぐに延びていく冬の空。
冷たい木枯らしも吹いて2011年が暮れていく。
明けていく年につながる一字を探す。
起、希、生、喜、建・・・止めどない。
瞬という字を思いつく。
一瞬の瞬きの間に全世界が変わったとは、
誰の小説だったか、いや小説ではない、
2011年3月11日の東北大震災、続く原発事故がそれだ。
東北のあの津波は1000年に一度の天災、
天災に原発事故の人災が追い討ちをかけた。
私たちは時の重なりの中で生きていることを思い知らされ、
この世は、氷薄の危うきに立つことを誰もが実感した。
哲学者の内山 節はそれを「生と死の共時性」と表現した。
冬の徳島中央公園を歩く。
大きく広げた枝に春待つ蕾を
びっしりとつけた桜並木の向こう。
貝塚遺跡が見つかったという洞窟、
巨石を背負い、ひっそりと暗い洞窟、
案内の標識には
「城山の貝塚は約4000~2300年前の
縄文後期~晩期を中心とする岩陰・洞窟遺跡であり・・・
1922年(大正11年) 鳥居龍三らによって発掘調査が行われ・・・
土器片や、ほぼ完全な屈葬人骨1体を含む
3体分の人骨が出土した。」とある。
やや離れて「城山の海蝕痕」の標識もあり、これには
「前面の岩肌に残る大小の円形のくぼみは、
海の波に浸蝕された跡である。・・・
大きな海進があった6000年~5000年頃、
縄文時代早~前期には
このあたりが海であったことがわかる。」とある。
私が今立つこの地は、海だったのだ。
はるかなる昔、
波打ち寄せる海辺に暮らす人々の姿を思い浮かべ、
長い時の刻みに感慨一入。
今ひるがえって、豊かな時に甘んじて暮らした自分たちを思う。
時の流れに迎合する人たち、
逆に正論を持ちながら物が言えなかったことを悔やむ人たち、
失った肉親への悲しみから健気に立つ少年たち、
何かが変わろうとしている。
ひとときひとときが重い。
先人の暮らしの痕跡にたたずむ私に聞こえた。
「老いも若きも男も女も
その何かを問い直す時が今だ」と。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表
2011年12月27日(火) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
園瀬川の鳥たち
「有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨ふらば降れ風ふかば吹け」
探鳥会を翌日に控えて、
天気は如何?と友人にメ-ルをしたら、
すぐに一休禅師のこの短歌が帰ってきた。
そして当日、雨上がりの空が広がった。
「園瀬川流域環境保全の会」が発足して6年になる。
産廃だ、水質調査だ、公害調停だ、裁判だ、
普段の生活とはまるで縁遠い事態に直面して
一生懸命の日月が過ぎて行きつつある。
そんな中で、もっと園瀬川を知りたいと企画した。
上八万町花房、園瀬川にかかる鶴熊橋から
1キロほど上流の色面橋を渡りぐるっと2時間、
田んぼと森と竹やぶに囲まれた
のどかな里地を歩いた。
「今年は暖かいから冬鳥が少ないようだが、
10種類から15種類は見られるはず」
と案内人の曾良寛武さん。
はて、どこにも鳥の姿は見えないが・・・
耳を澄まし目を凝らすと、聞こえる、見える。
鳥の気持になって探すと
鳥の居場所は自然と目に入ると曾良さん、
はずれることのない勘に感嘆。
アオジ アオサギ キジバト キセキレイ
ウグイス ヤマガラ カルガモ ヒドリガモ
モズ カワセミ ハシブトガラス ハシホソガラス
セグロセキレイ ヒヨドリ トンビ。
冬鳥と留鳥合わせて15種類に会うことできた。
コバルトブル-の羽が光るカワセミにも会えた。
ハシブトガラスとハシボソガラスの鳴き声の違いも、
鳥たちの地鳴きとさえずりの使い分けも知った。
園瀬川は大河原高原の旭ヶ丸を源流とし
佐那河内村、徳島市を流れる典型的な里川。
多くの希少動植物を残し自然の生態系を保っている。
それを証するように用水路に群れ成すメダカ、
鶴熊橋の下に姿を表すクサガメ、
ニホンヒキガエルも道端に登場、
その奇怪で愉快な姿を楽しんだ。
一方で外来種のミシシッピアカミミガメやブラックバスが
どんどん増えていると言うから
在来種との攻めぎ合いが起きているに違いない。
名にしおはば 逢坂山のさねかづら
人に知られでくるよしもがな
三条右大臣 後選集
一名美男葛と名のつく紅い実に、
こんな歌も思い起こされ、
風の音に乗るさえずりが
時を忘れさせた探鳥会だった。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表
2011年12月9日(金) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
森に生きる田岡秀昭さん
落ち葉がくるくると風に舞い、
秋が終わろうとしている。
7月に急死された林業家田岡秀昭さんが
命をかけて守ろうとした嶺北の森にも、
落ち葉は降り積もっているだろう。
森に明かりをともしたい。
そのために重荷を一身に背負いきること。
田岡さんのその信念を分かち合い
支え合うことができなかったことを悔やむ。
私たちが森の伝道士と呼んだ田岡秀昭さんは
森の守り人としてかけがえのない人だった。
どんなときにも絶やすことのなかった笑顔がそこにある。
国際森林年記念シンポジウム「森との共生―ゆすはらの実践」を終えて
11月13日、無事シンポジウムを終えました。
年初めから企画を始めたものの、
震災で「国際森林年」は頭から吹っ飛んでしまい、
東北支援活動と原発問題に集中、
7月にかけがえのない仲間を失なったことが重なり
このテーマに真正面から向き合う気力を取り戻すのに
ずいぶんと時間がかかりました。
私たちですらそうなのだから、
今、「森との共生」に
人は振り向かないのでないかと不安を抱えつつ、
チラシを撒き、人に会い、新聞や電波を活用し、
ゆすはら視察までして迎えた当日。
80人の参加者にまずは、ほっ・・(~。~)
梼原元町長の中越武義さんの講演はパワフル、わかりやすくて
ゆすはらに行きたくなるようなPRは抜群、
それでいてとても大切なことがいくつも発信されました。
【森林】
梼原では森づくり基本条例に沿い、
森から成長量以上の木を伐採せず、
皆伐を禁止し、中長期にわたる山づくりがなされている。
森を地域の資源としてどう捉えるか。
間伐・植林をして山の価値を高めるための投資をし、
地域の風景と山の機能を守っていく。
【流域】
上流の役割はきれいな水を
安定して供給する体制をつくること。
上下流での情報の共有と連携が大切。
【まちづくり】
コンサルに任すのではなく、地域に住む人と共に考えていく。
地域にある資源を大切にし、将来に生かすことを考える。
基本は環境・教育・健康であること
パネルディスカッションでは
材木や農産物をとおして流域の経済を循環させる
下流の取り組みの事例報告が2団体から発表、
市民や専門家・行政からの発言もあり、
時間がもう30分あったら・・・というところでの閉会でした。
森に向き合うと、林業の低迷、集落の過疎化という
問題山積に展望の見えない閉塞感すら覚えます。
しかし、そうではない、
地域にある資源の価値を共有しそれを生かすことで
元気なまちになれる!梼原はなるのだ!と
中越さんは私たちに伝えてくれました。
今、徳島でも上勝をはじめ、中山間地の小規模の自治体が
小水力発電や林業でがんばっています。
吉野川や勝浦川、那賀川、海部川などの下流に住む私たちが
流域としてどのように考え、関わっていくのかが問われています。
上流の資源は下流の資源でもあります。
交流を深め、ともに資源を生かす方法を見出していきたいものです。
近藤こよ美
「雲の上の町」に

晩秋の雨が落ちていた。
薄い霧のべ-ルが紅葉し始めた森を包んでいた。
新荘川を上流へ上流へとたどり、
峠を越え津野山神楽の里を過ぎ、
四万十川源流域の梼原町に着いた。
町の91%を森林が占め、
森林組合が元気で林業が盛んと聞く。
重なる森がご神体のようで、
森の精気が町に満ちていた。
町の中心部に立てられた梼原町総合庁舎は
音楽ホ-ルにもなり、
町の人々が毎日集まる広場となっている。
建築家隅 研吾の作であるが、
もちろん地元の木をふんだんに使った木造の建物である。
他に、まちの駅、雲の上のホテル、雲の上のギャラリーもあり、
これらの建物は、森の自然に溶け込ませるように建てられ、
梼原の町に人を惹きつける大きな要因となっている。
3年前であったか、
梼原町の中越武義前町長に
お会いした時のことを思い出す。
「わが梼原町の森を、
誰もがあっと驚くように生かしたい!」。
実際にそのように言われたのかどうか定かではないが、
いくつものアイデアを実現させようと、
実に楽しそうに語られた。
その後「循環型社会を目指したモデル地域の考え方」に基づいて
「森林エネルギ-地域循環利用プロジェクト」が
着々と進んでいることを知った。
原発事故が起き、
脱原発は今や社会全体の要請である。
自然エネルギ-へと舵を切り始めなければならない。
梼原町で実現している様々の施策、
木材の認証制度FSC、
環境税の収入による木造住宅への補助。
森林セラピ-基地やセラピ-ロ-ドの整備、
風力、小水力、バイオマスによる発電、
太陽光パネルの設置・・・。
今年は国連が定めた国際森林年でもあり、
先達である梼原にぜひ学びたい。
梼原町の元気の源は何か。
地元の宝を見つけ出し、
それらを生かす総合的なグランドデザインを
描いたのは誰か。
担い手はどこに?
雲の上の町梼原町、
地域が元気に再生して行くために、
中越さんの話に関心は尽きない。
国際森林年記念シンポジウム
「森との共生-ゆすはらの実践~自然エネルギ-で町づくり~」は、
11月13日(日) 午後1時30分
アスティ徳島第6会議室で開く。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表
2011年11月10日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
かぼちゃの雌花の不思議
料理クズを埋めた畑から、なんと1本に28個の雌花をつけたかぼちゃが成長中です。雄花は根付近に集中しています。
農業試験場に不思議な現象のわけを聞くと、水や栄養の異常な過不足、
短日などのために植物は子孫を残さなければと必死になり、こんな現象を起こしたのだろう。ということでした。
ここは、先日の大雨で冠水し、発芽前くらいにはしばらく水の中だった。
それ以外は別にいつもと変わりなし。画面に5個の雌花、見つけてね。
語り部のような柿の木
白い秋明菊が楚々と咲き、
空き地にギシギシの花が色づくと
日増しに秋が深くなる。
「ばあちゃんがお嫁に来た時植えた柿の木が、
今年もたわわに実をつけた」と知人。
桃、栗3年柿8年、
子どもに孫にお腹いっぱいに食べさせたいと
祈りの気持を込めて植えた柿の木。
豊作に家族が笑顔し隣近所にもおすそ分け。
つながりの安心感。
自然は未来からの預かり物、
笑顔の中で学んでいた。
自然の恵みは子々孫々に残していかねばならぬ。
どうしたらいいのか、と
その課題を探す生物多様性タウンミ-ティングは
9月初旬、汗だくの季節に始まり、
明日23日の牟岐会場(川部会)で最後となる。
一人でも多くの人たちから意見や提言を集めようと、
東から西へ、北から南へ県下9ヶ所を駆け抜け、
緊張しつつも充実した2ヶ月だった。
生物多様性とくしま会議のスタッフ一同、
始めはどのようにして
会場をいっぱいにしたら良いものか途方に暮れたが、
人が自然に行きたくなるように、
人が人を呼ぶ機運を作り出していった。
「川・海・汽水域」「奥山・里山」「まち・里」
3部会のどことも多くの人が集まり、
参加者は驚くほどに熱くなった。
主催者としてうれしい限りだ。
小さなグル-プに分かれ、自由に思うことを手繰って行く
「ワ-クショップ」という手法には不思議な力があった。
その地に暮らし、その地を良く知った人だから、
一人一人が語り部になれた。
紡ぎ出された智恵や思いを書いたポストイットカ-ドが
満開の花と咲いた。
総勢何人の人たちから、
いくつの意見が語られたのか。
驚くほどの数字になろう。
肝心なのはこれから、その生かし方である。
来年度制定の「生物多様性とくしま地域戦略」の中に
有機的に組み込んで、
コミュニティの共同財産として
使えるものにしていこうとしている。
明日は最後、
「食べて、遊んで、子どもに継がせられる川・海」を
テ-マとして開かれる。
牟岐の青い海を見ながら楽しく語り合いたい。
会場は牟岐町海の総合文化センタ-で午後1時半から。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表
2011年10月22日(土) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
故郷の言葉に
朽葉色の秋が足早に忍び寄る10月、
キンモクセイが香り
ピラカンサスの実が薄紅に色づく。
この半年の間、NHKの連続テレビ小説「おひさま」を見ながら、
懐かしい故郷を楽しんだ。
定年で長野に帰る約束もいつしかほごとなり、
今や故郷は遠きにありて思うものになっている。
言葉の一つ一つが懐かしかった。
長野県は南北に長く、
ドラマの舞台、松本や安曇野は中信、
私は北信育ち。
微妙に言い回しが違うが、
ああ信州の言葉だとうなづけた。
友人に聞かれた。
「ほんとに」ではなく「ふんとに」と言うのかと。
ふんとにそう言う。
ほとふの区別がつかない微妙な言い回し、
家人で話し合って試した。
「たまげる、してくれや、どうしただい、おっかねぇ、
いっといで、おけぇり、うんまい・・・・」。
「おいでなさんし」の
優しい言い回しは中信のものなのだろう、
北信では「おいでなして」と言う。
信州の峰を連ねる山々も実りの里も、
ススキの原もせせらぐ小川も懐かしく、
広かる風景に癒された。
こぼれるばかりのソバ畑の白い花は、
過ぎし昔の遠足の記憶につながる。
北信五山の飯綱山や
戸隠高原に遊んだ日の記憶にも。
善光寺平の向こう、
菅平の長いスロ-プを染めた
真っ赤なあかね色の夕焼け空も思い出す。
人の感性はどのようにして育まれるのだろうか。
私が今あるのは、しっかりと故郷があるから。
私の人間形成の深層には
内なる故郷があることをしみじみと思う。
翻って、徳島に生まれ育ち、
徳島を離れた子どもたちは、
ここ故郷にどんな思いを寄せているのだろうか。
満開のレンゲ畑を走り、さわがにを捕り、
ミカン山を探検した。
その頃は、川も田畠も豊な緑と
すがすがしい水に包まれていて幸せであった。
しかし今、子どもたちにとって
かけがえのない自然が失われ、
故郷が遠くなっている。
啄木の詩
故郷の山に向かひて言ふことなし
故郷の山はありがたきかな
すべての人の願いである。
八木正江
里山の風景をつくる会 理事
地球温暖化を考える-市民アクション2011-徳島代表
2011年10月6日(木) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より